東京凰籃学院
'99東大日本史 入試的中例
'99東大入試問題 |
凰籃学院教材から |
日本史第2問 次の(1)〜(4)の文章を読んで,そこからうかがわれる室町時代の文化の特徴について,当時の民衆の状況と関連づけて6行以内で述べよ。 (1) 観阿弥は,はじめ伊賀国の農村地帯で猿楽座を結成したが,のちに能を大成し,子の黙阿弥とともに足利義満の称賛を受けた。 (2) 村田珠光は,上流階級の間で流行していた貴族的な喫茶にあtきたらず,京都や奈良の町衆の間で行われていた質素な喫茶を取り入れて,わびを重んじる茶道を始めた。 (3) 戦国時代のはじめごろ,泉国のある村に滞在していた一人の公家は,盆に村人たちが演じるお囃子や舞を見て,都の熟練者にも劣らぬものであると驚嘆している。 (4) 大和国のある村の神社には,連歌会を催すための掟が残されている。そこには,連歌会の実施や作品の評定を行う役は,参加者のうちから多数決によって互選することが定められている。 |
中世には次のように,それまでの時代と比べて異常な記述が随所に見られる。これらをもとにして中世文化の特徴を7行以内で論じなさい。 A 熊野へ参らむと思へども……すぐれて山峻し……空より参らむ,羽賜べ若王子。 B 一座ソロハヌエセ連歌,点者二ナラヌ人ゾナキ……犬田楽ハ関東ノ,ホロブル物ト云ナカラ,田楽ハナヲハヤルナリ。 C この芸において,大方,七歳をもて初めとす。この比の能の稽古,必ずその者自然とし出だす事に得たる風体あるべし。 D 不思議の男一人はんべりける。其名を物くさ太郎ひぢかすと申し候。 E 世間はちろりと過ぐる,ちろりちろり。何せうぞ煤んで,一期は夢よ,ただ狂へ。 (東大日本史3) 15世紀には,地方の学問や文化にも新しい発展があり,東国・西国ともに文化の中心地が生まれた。東国,西国それぞれの代表例をあげつつ,この時代の地方文化や学問の動向について7行以内で記せ。 (東大日本史2) 室町から元祿期にかけての俳諧の歴史を3行以内で述べよ。 (東大日本史冬) |
★ ポイント 中世の庶民文化。地方の活力の源から説明させる問題。庶民文化は院政期から,農村の変貌は鎌倉時代から,それぞれ連続的に理解しておきたい。 |
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日本史第3問 次の(1)〜(5)の文章は,江戸時代の有力な商人たちが書いた,いくつかの「家訓」から抜粋し,現代語に訳したものである。これらを読んで,下記の設問に答えよ。(1) 家の財産は,ご先祖よりの預かりものと心得て,万端わがままにせず,子孫へ首尾よく相続するように,朝暮心掛けること。 (2) 天子や大名において,次男以下の弟たちはみな,家を継ぐ長男の家来となる。下々の我々においても,次男以下のものは,長男の家来同様の立場にあるべきものだ。 (3) 長男については,幼少のころから学問をさせること。ただし,成長が思わしくないときは,分家などの間で相談し,人品を見て適当な相続者を決めるように。 (4) 血脈の子孫でも,家を滅亡させかねない者へは財産を与えてはならない。このような場合には,他人でも役に立ちそうな者を見立て,養子相続させること。 (5) 女子は他家へ嫁がされるものだ。親の家に暮らす子供のうちから気ままに育てられると,嫁ぎ先の家で辛抱することができなくなり,これがついには離縁されるもととなる。親元で厳しくされれば,他家にいるほうがかえって楽に思えるようになるものだ。 設問 江戸時代の有力な商人の家における相続は,武士の家とくらべてどのような特徴をもったか。上の文章に見られる長男の地位にふれながら,5行以内で述べよ。 |
こゝを以て正き士は,此売物は損銀たち候へ共,負て売んと云ふ時は不買,我買てやるには汝に利を得させん為なり。汝が合力は不受と云へり。
問 これが書かれた背景を論じつつ,その意義について5行以内で記せ。 (東大日本史夏) |
★ ポイント
江戸時代の商人の価値観。上の的中題は,石門心学の資料から,当時の商人の商業観,相続観を含めた独自の道徳観を説明させるもの。ここには「儒教的道徳」と,「利益第一の実際主義」との見事な融合がある。 |
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日本史第4問 近代日本の教育は,初等教育でも高等教育でも,明治初年より戦後までの間,制度・内容の両面において幾多の変遷をみてきた。その概略を,次の年表を参考にしながら,8行以内で述べよ。 1872 学制公布 |
以下の資料を参考にして,明治以降の学制の変遷とそこにみられる教育理念の推移を10行以内で論ぜよ。
ア 人々自ヲ其身ヲ立テ其産ヲ治メ其業ヲ昌ニシテ以テ……(以下略) イ 朕惟フニ我カ皇祖皇宗国を肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。(以下略) ウ われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を……(以下略) (東大日本史1) |
★ ポイント
戦前の教育は一貫して,強力な官僚制度を維持するのが最大の目的であった。しかし,その具体的な主眼は,「国民の資質を高める」→「天皇制」→「実務家養成」→「国家主義教育」と変遷した。これを時代背景とともに説明する。授業では他に,これらを裏付けるべく,学者に対する弾圧の歴史も扱った。 |