(A)

(ア) 法隆寺金堂壁画(皇室御物聖徳太子像・高松塚古墳壁画)

(イ) 懐風藻(万葉集)

(B)

大化の改新で新秩序が整備される上げ潮の機運の中,百済・高句麗が滅亡,多くの亡命技術者が渡来し,天武天皇の国家仏教推進と帰化人優遇策のもと,仏教文化が彼らの手により地方に波及した。その結果,仏教に疎遠な一般人でも親しめる形象の仏像が作られた。

コメント

有名な聖徳太子像は,百済の阿佐太子が描いたとされますが,描かれた服装から,もしかすると平安時代以降の作かもしれない,とも言われていますので,気になる人は避けたほうがいいでしょう。深大寺の釈迦如来倚像はこんな感じです。

とりあえず出題の要求は,

です。ということは,どうやって仏教文化が普及していったか,書くことになります。白鳳時代でそれっぽい事件を探すと,上記のことくらいでしょう。字数的にも,それで十分です。というわけで,東大っぽい,国語のような問題でした。

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