現代文第一問

 

 人が誰かに操られたいと願う深層意識は、古来為政者たち、宗教家たちに認識されてきたところであろう。

 安心を得たい、という渇望は、さまざまな政治的、宗教的フィクションとしての思想を生んできた。このようなことを書くと無神論者めいているが、私の立場は、それとは少しく異なる。

 政治の原型は、相互扶助である。すなわち、偏在する生産物を遍く分配するための情報交換こそが、政治、ないしは政府の役割でなければならぬ。誰が何を、どれだけ持っているか、それがわかり流通させることさえできれば、ア世界は安泰である。しかしここに貨幣経済と資本主義が介入すると事情が激変する。いつの間にか、政治は専門化し、常識では捉えがたい動きを政府が示すようになる。

 円高は日本経済への信用の証である。円高になれば輸入品を買えばよい。円安になれば国産品を外国が買ってくれる。それだけの話である。これが分配の常識である。

 なぜそこにわざわざ為替介入と高関税が立ちはだかるのか。表向きは、国内の生産者を保護するためである。それは、安い輸入品が買えないことを意味するのだから、こういってよければ、消費者の利益を害する行為である。

 国内の生産者とて、原料を輸入すれば安く上がり、同時に生活者として円高の恩恵を被るはずである。これがTPPをはじめとする自由貿易の理屈である。が、それは阻害される。

 それは、純粋に政府の都合による。政府は、税収を確保するために最も有利となるように政策を行っているのである。

 イこのスキームで見れば、常識では捉えられなかった政府の動きが、すべて見事に説明できる。現代政治機構も、為政者が最大の利益を得る、という点で、古代の神権政治と全く同じなのである。現代の日本にあっては、国会議員と公務員の尋常ならざる厚遇がそれを明快に証明している。

 その「神話」は、もちろん、人々の救済である。為替相場が乱高下しては市場が混乱する(に違いない!)。それを防ぐ「神」が政府ということになる。

 現代のコンピュータ化された流通機構は、仕入れ元の変更に対して、きわめて迅速に対応できるであろう。しかしそのような理数系の技術者が跋扈するようでは、ウ世間にいう「文系」は困るのである

 さて、話を戻すと、イデオロギーは人為が介入しないことが理想である。これが私の立場である。

 イデオロギー自体が人為的なものだろう、と反論されるかもしれない。しかし、人為的でないイデオロギーが存在するのである。

 それは、自然である。

 フィクションたる思想も人間に安心を与えてくれるかもしれないが、それは物的基盤を欠いている。自然から生み出される技術や薬は、エもっと確実な安心感を与えてくれるのである。

 人はカリスマに操られたいと願うが、実際に人間を操っているのは自然の法則である。我々の夢や願望は、すべて自然の中にある。

 科学はイデオロギーになり得ないと長らく信じられてきたが、それはあえて科学を軽視してきた結果に過ぎない。

 科学をどう見るか。そのイデオロギーに誤算があったときに、原子力に見られるような悲劇が生ずる。「原発は事故を起こさない」というイデオロギーは、人為的であったがために、誤ったのである。現代の政治思想は、人為を極力排除した自然観察を基軸とする以外にない。

 自然は何も語らない。権威を振りかざすこともなければ、国境を作って人を支配することもない。だからこそ、オ最高権威のイデオロギーとして君臨しうるのである

 自然から未来を紡ぐほかないことに、為政者もそろそろ気付いてもいい頃なのではないだろうか。

(「科学は思想たり得るか」本出典の著作権は当学院が保有しています。)

 

設 問

 

一 傍線部ア「世界は安泰である」とはどういうことを指しているか。一行(二五字)以内で説明せよ。

 

二 傍線部イ「このスキーム」の指す内容を一行(二五字)以内で説明せよ。

 

三 傍線部ウのように言えるのはなぜか。二行(五〇字)以内で説明せよ。

 

四 傍線部エはどのようなものか。一行(二五字)以内で説明せよ。

 

五 傍線部オのように言えるのはなぜか。本文の趣旨を踏まえ、二行(五〇字)以内で説明せよ。

 

コメント 易しい文章を用い、指示語、抜き出し、論旨の把握まで、幅広く練習できる問題です。