東京凰籃学院

東大後期小論文のヒント

その2 危険な答案例と分析


 ア・イについてそれぞれ例を挙げてみる。

危険な答案例1:アの場合

 確かに現在のところ科学技術は女性を家事から解放するに至っていない。だが,これは過渡的な現象である。技術は人間を楽にするためにある。そして究極的にはそこから女性だけが漏れるということはないのである。

 科学技術は人間の労働量を限りなく縮小させていく。たとえば現在のレベルの洗濯機では,確かに誰かが洗濯をしなければならない。だが,洗浄から乾燥,はたまた洗濯物の識別と折り畳み,収納まで,かなりの正確さで行う全自動マシンが現れれば何をか言わんやである。家事が消滅するときに,分担の均等化も何もないではないか。

 もちろんすべて消滅するわけではない。しかし,たとえば近年に見る通信網の進歩と,それに伴う在宅業務の拡大は,人間を時間的,肉体的に著しく解放し,家事に当てる時間的余裕を作り出している。夫がいつも家にいるのが普通になれば,「楽な家事だけやります」というわけには,もはやいかなくなるだろう。

 このように科学技術はどこまでも男女の労働を均等化していくのである。その力は,家事にかける時間を縮小させるという物理的なものであるために,効力は絶大なのだ。

 家事を誰がやるかという問題は,言い換えれば「時間の取り合い」の問題でもある。夫婦ともに十分な時間を手にすれば,取り合う必要はない。経済的に豊かな社会では人がより自由で平等になれるが,時間的に豊かな社会でも同様なのである。

 以上のように,科学技術が人間の福祉のために開発される以上,夫婦の家事負担は均等に,そして楽な方へと向かうのは明らかといえよう。

 

危険な答案例2:イの場合

 筆者の主張するように,科学技術は既成の労働を簡略化するとともに,新しい労働,すなわち時代にあった高度な仕事を次々と作り出す。そして女性は依然として家庭に縛られたままである。それは,この社会に競争が存在するからである。

 技術革新は次々と新機種を生み出し,新しい需要を作り出す。夫は会社で絶えず激烈な競争にさらされ続け,販売実績という数字で煽られる以上,家に早く帰ったものが負けである。接待は競争社会での販売戦略に欠かせないが,それは大抵夜中に行われる。体力的に優位にある男性が二十四時間闘い続ける構図は,今後も変わらない。

 そして家庭に待機する妻は夫の健康管理と家事を一手に引き受け,共同戦線を張るのである。競争,闘いにおいては軍隊と同様,分担と共同作業が欠かせないのだ。

 このように家事の不均化は,競争という人間社会に本質的かつ避けがたい部分により進行する。故に科学技術がいくら時間的余裕を作り出してくれても,これが競争に投入されること請け合いである。

 さらに技術の進歩は社会人の予備軍である学生に大きな勉学負担を強いる。企業戦士の学歴は上昇の一途にあり,就学期間はどんどん長くなる。このような,子供が労働市場に出るまでの遅延は,教育費など家計に大きな負担としてのしかかる。かくして母たる主婦が家事を行い,夫を支えるという構図をますます強化して戦わねばならない。まさに悪循環である。

 以上のように,技術の進歩はひたすら家庭に負担として働くのであり,女性をますます家事という役割分担へと押し込んでゆくのである。

 いかがだろうか。もちろんどちらも反論は可能である。論文である以上,反論できないなどということはあり得ない。設問自体が,二つの立場のうちどちらかを選ぶようになっていることからも,ア・イどちらにつくかはそれほど重要ではないことがわかる。問題は説得力の強さである。

 答案1は,技術が人間に時間をもたらす点に注目した文章。答案2は競争に注目した文章。どちらも,小論文の必要条件である「新しい視点」が用意されている。課題文の内容をそのままなぞった答案は問題外だが,上の答案は,明らかに一歩深い議論がされている。ではどこがいけないのか。

 視点がまだ本質的ではないのだ。

 まず,科学において忘れてはならないのは,

重要事項1 科学技術は価値中立的なものであり,利用されるか悪用されるは人間側が決める

という事項である。技術と同様,「時間」も価値中立的なものだ。答案1は,「価値中立的なものが無条件に福祉になる」と主張しており,もっと本質的な問題……人間側の事情……が抜けているのだ。

 こう考えてみよう。これまで技術が進歩したが,果たして人間がそれをすぐに取り入れたかどうか?薬害では,もっといい製剤があるのに古い利益の出る危険な製剤を使用して被害が拡大した。さらに原始的には,技術はまず最初に軍事的に……つまり殺戮を想定して……使用される。

 故に,技術の進歩 → 時間的余裕 → 家事の平等化 と,とんとん拍子に進んでしまう答案1はあまりに楽観的すぎる。各段階の間の理由を説明することこそが求められているのだ。

 おそらく入試では,答案1と同様に,「科学技術が省力化をもたらす以上,直接の原因ではないにしろ,夫婦の労働の均等化を後押しする大きな要因になる」と主張する答案がかなり見られたであろう。が,この程度の論法では,技術は所詮,必要な条件の一つにしかならない。科学がなぜ労働の均等化をもたらすのかという,必然性因果関係といった積極性の点で大きな弱点がある。ゆえに説得力は弱い。

 もうひとつここで是非とも銘記してほしいのは,

重要事項2 多くの問題は,根源的には人間の差別意識,本能,利権にまで溯ることができる

ということである。そこで,人間の競争という,ある種宿命にも似たものに注目した答案2は,より根源的であるといえる。だが,弱点がある。労働時間はある程度法的に規制が可能なのである。現に,会社における時間無制限の競争というのは消滅の方向にある(受験生は別かもしれない)。労働基準法その他の法令により,会社におけるサラリーマンの競争は一定のルールのもと,限られた時間内で勝負するよう規制されるのが普通である。それに,競争を生み出すもとは人間の差別化への欲求であり,それならばこのような心理的視点で論じた方がより根源的であるといえる。

 ただ,注意しておいてほしいのは,上の重要事項1・2は万能ではないということだ。論文のタイプに応じて他にいくつか使いこなせるカードをもっておく必要がある。

 

その3 「推奨する答案例と分析」に進む


「大学受験アドヴァイスのコーナー」目次に戻る

 

Copyright © Tokyo Restudia Co.,Ltd. 1996-2010,Copyright © Masauyuki Hosomizu 1986-2013