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Q 早稲田大学政治経済学部に在籍しています。受験時代は勉強に打ち込み、情報収集を怠っていたため、早稲田が私大のトップであると信じて疑いませんでした。しかし、残念ながら現実はそうではなかったようです。偏差値が同じなのに慶應卒のほうが社会的評価が高いのならば,来年慶應経済を受け直そうと思うのですが,いかがでしょうか?

A 早稲田と慶應についてですが,この手の話題は主観も入るものなので,以下の回答はあくまで個人的な意見だとお考えください。

 結論から申し上げますと,早大政経であれば,再受験の必要は全くないものと思われます。以下,適当に早慶を比較してみます。

 まず,最近,慶應が大学全体としてのステータスを上げてきましたが,これは,

(1)学問的な部分や授業にいちおう力を入れているように見える

(2)経営状態が無難である

(3)OBのネットワークが強い

(4)一通りの学科がそろっている

 など,大学としての正統性を備えてきたからだと考えられます。卒業生に対する社会的評価も,どちらかといえば,個人の能力よりも,大学への評価に依存する部分が(早大に比べ)大きくなります。「学歴社会」=「学閥社会」において有利な大学といえます。

 一方,早大は全く異なる個性をもっています。早大は次のような点を強調します。

(1)学生に自由を与える

(2)学生が自己探求する

(3)特定の科目の勉強にこだわらない

 実際,2000年入試から始まる政経のAO方式では,出願資格はスポーツや資格試験(英検など)に限らず,人より努力したといえるものがあれば何でも評価対象にすると宣言しています。しかも70人も募集しています。往年の早大政経の難関入試をくぐり抜けてきた学生やOBは激怒するかもしれません。「ここまでして傍系入学を増やし,一般入試枠を狭めて偏差値をつり上げたいか!」と叫ぶ人もいるでしょう。

 広末問題からもわかるとおり,そもそも早大は学力というものを通常の大学ほど重視していません。どんな才能であれ(それが単に有名人だというだけでも)早大は受け入れてくれます。ただし,早大がその才能を伸ばすための指導をしてくれるわけではありません。4年間の自由時間を与えるから自分で才能を伸ばせばいい,という考え方です。早大が受験生をひきつけるのはこのような自由さです。ただ,こういう方針をとっているかぎり,学問的業績や高価な設備に関しては遅れをとってしまうでしょう。

 これでは正統な意味(=学問的意味)での社会的評価が与えられるはずもありません。

 従って,卒業生に対する社会的評価は学生個人の能力に依存します。そしてこれまでは,卒業生の活躍が顕著だったので,早大にも高い評価が与えられてきました。つまり,卒業生が大学の評価を牽引するわけで,この点,大学が卒業生の箔つけ,ないしはファッションとして機能する慶應と対照的です。

 従って,自分の個性的能力を自分で伸ばし,それをダイレクトに社会から評価してもらいたい人にとっては,早大が理想の環境となります。早大政経出身のフリージャーナリスト,といったコースは,まさに早大型の理想形でしょう。

(1) 慶應はチームプレー,早大は個人プレー

(2) 慶應は大学行政における正統性を追求,早大は既成権威の外(=在野)で勝負

 といった捉え方もできるかと思います。このように,両大学の人気の質が全く異なるために,これまでも「早慶」と併び称されてきたわけです。学生にとってはどちらの環境も魅力的なので,今後も両大学は並立していくことが可能だと思います。

 たしかに最近では,早大から慶應に移る人もけっこういる模様ですが,これは多くが商学部や社学からの再受験のようです。商や社学なら,慶應の法や経済に移るほうが就職に有利ということもありえるかもしれませんが,さすがに政経ともなると,他大学に行く必要はないのではないでしょうか。

 それに,上記のような早大の学風は企業も把握しており,早大出身者には個人的能力を大いに期待してくるので,努力の甲斐もあるというものです。

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